2017年6月30日金曜日

【神社ブログ】ある神社では子供達が参拝に訪れ『参道の真ん中は歩いちゃダメなんだよ~』と言っていました

子供達でも知っています。
参道の真ん中は歩いてはいけないと‥‥
まあ色々話はありますけれどね。
別に真ん中を歩いても良いという話もあります。
これは神社によってですかね。
でも一般的には参道の真ん中は神様の通り道で、参拝者が通ってはいけません。
しかしこれ、どう判断しましょう。{笑}


これは桜の季節、参拝者が沢山いたある日の事でございました。
ズラッと参拝者がお行儀よく並んで順番に参拝しております。
普通ならマナーを守っていて良いはずなんですが、これ参道の真ん中ですよね‥‥{汗}

これで思ったのですが、お賽銭箱とか鈴とか、ちょっと真ん中からずらした方が良いのかもですね。
そしたら参道の端を歩く事になります。
もしくは参道自体を少しずらすとか。
まあこの程度で神様は怒ったりしないと思いますけれどね。
順番に参拝する為ですし、大切なのは人の行いですから。

二つの反する何かの間で選択を迫られた時、優先するのは目の前にある事なのかもしれませんね。

2017年6月29日木曜日

【神社ブログ】この形に意味はあるのか?神社でよく見かける形

何かの形を決める時、当然それにはそれなりの理由があるはずです。
社殿の形には壊れにくいような工夫がされていたり、懸魚なんかは柱の端が表に見えないよう隠す働きがあります。

その懸魚の形にも当然それなりの意味はあるのでしょう。


さてこれは拝殿の中ですが、錦の御旗の手前にあるもの、イカマークを逆さにしたようなのがありますが、これどこかで見た形です。
そうそう、懸魚にこんな形がありました。
神社にあるもの複数に同じ形が使われているとなると、きっと意味がありますよね。
そこで早速調べてみる事にしました。

この形の懸魚、調べてみました。
上下は逆になりますが、この形をした懸魚を『楯懸魚』と言います。

ああ、なるほど、錦の御旗のかかっているのは矛ですよね。
つまり楯と矛が並べてあるという事ですか。
神様をお守りしているのですね。

また一つ謎が解けました。
他にも、神様を守るという意味以外に、いざという時に宮司さんが武器をとって戦えるように備えているのかもしれません。
錦の御旗が矛に付いている事が多く、これは天皇陛下の臣民、日本国民を表すものですから。

神社が地域の守り神になっている事は多いですが、リアルに警察のような役割もあるのかもしれませんね。

2017年6月28日水曜日

【神社ブログ】神社に太鼓があるのはどうして?色々な拝殿で見かけます

太鼓って、何処の神社でも見かけますね。
地車にも太鼓がありますし、お祭りに太鼓はつきものです。
でもどうして太鼓があるのでしょうか。
単純にお祭りを盛り上げる為でしょうか。
それとも鈴のように清めの効果があるのでしょうか。
ちょっと調べてみたいと思います。
ちなみに、全くこの先の展開は考えておりません。
見つからなければそれで終わりです。{笑}



写真がピンボケなのはいつもの事です。{苦笑}
拝殿内ってフラッシュ無しで撮るとぶれるんですよね。

さて太鼓の意味です。
太鼓にも、鈴と同様に『音によるお祓い』の意味があるそうです。
魂を振り起こし魂を再生するのだそうです。

音によって始まりを決め知らせる意味もあるそうです。
何かの始まりのお祝いにも使われるという事でしょうかね。
音は始業チャイムや、スタートのピストル音など、どれも始まりを決めるものとして使われているのは偶然ではないでしょう。
除夜の鐘は終わりと始まりですね。

音は神様の歓迎の意思だという話もあります。
太鼓以外にも笛などの音があるそうです。
でも人が鳴らしているんですけれどね。{汗}
風が吹くと神様の歓迎の意思だという話もあるそうです。

最初からそういう意味があったのかどうかは分かりませんが、太鼓には色々と意味がありそうです。

2017年6月27日火曜日

【神社ブログ】金の御幣の意味 御幣を調べると紙垂を挟んだものなんだけど‥‥

神社を巡るようになって、色々な言葉の意味や物の名前を調べるようになりました。
そこで御幣を調べた時‥‥

そもそもは紙垂を挟んだものだと知りました。

紙垂とは糸の文字の形をした紙ですね。
でも神社の拝殿を見ると、大概の神社は金色の置物が置かれています。


どうして金色の置物になっているのでしょうか。
普通に考えれば、まずは紙よりも管理しやすいというのがあるでしょう。
紙なら毎回付け替えたりしますが、これならずっとこのままでいいですからね。
掃除は大変そうですが‥‥

でも大切な紙垂をそんな理由で置物に変える意味が分かりません。
他にもきっと意味があると思われます。
調べてみると、金色という色には、『光り輝く』という意味があります。
お参りに来る人は、今年が良き年になるように来るわけで、その未来が光り輝くように金色なのだとか。

他にも元々は紙に捧げるものだったのが、今では依代なんて意味もあるからのようです。
此処に神が降りてくるわけですね。
だったらそれは豪華な方がそれらしいという事でしょうか。

他にも疑問があります。
どうしてどこの神社も1つ或いは3つ置かれているのかという所です。
この辺りは前にどこかで意味ありげな言葉を見かけましたが、答えは見つかりませんでした。
まあ3という数字は良い数字ですし、日本は三柱の神によって始まった国ですからそういう意味もあるのかもしれません。

また何か分かれば書きたいと思います。

2017年6月26日月曜日

【神社ブログ】筆塚って何?昔の日本は識字率ナンバーワンだった!

第二次世界大戦の後、GHQは日本に英語を押し付けようとしましたね。
しかし日本では今も日本語がつかわれています。
どうして日本は日本語を守る事ができたのでしょうか。
それは、外国の常識をはるかに上回る識字率があったおかげです。

昔の世界では、文字が読み書きできるってのは特別だったんですね。
しかし日本ではそんな事はあたり前だったのです。
どうして日本は、一般Peopleに至るまで文字が読み書きできたのでしょうか。

その辺り、こういうのを見ればなんとなく分かります。


これは筆塚です。
筆塚とは、筆を供養する為、或いは寺子屋などの先生に感謝する為に作られた碑です。
この筆塚がある大阪天満宮は、学問の神様である菅公先生を祀る神社ですが、菅公先生は字を書く事にも長けていたのでここに筆塚があるそうです。
そこからも分かる通り、頭の良い人は筆の達人でもあるってのが普通だったのですね。

そして日本は、そんな筆を供養する風習があるわけです。
日本がどんな国だったかが見えてきますね。
まず、とても勤勉であるという事です。
一般国民に至るまで、多くの人が勉強をするわけですから、当然文字が読めなければなりません。
識字率も高くなるというものです。

でも、誰でも普通に考えれば勉強したいと思うのではないでしょうか。
それは日本に住んでるからそう思うのです。
平和じゃない国、国民がタダの家畜として扱われていたような国では、民がそんな思いを持つわけがないのです。
目の前の事、生きる事に必死なのですから。
平和だからこそそういう意識が芽生えるのです。
一般国民も含めて、識字率が昔から世界一だった日本だからこそ筆塚なんてものがあり、その存在が世界一平和な国だった事を証明していると言えるかもしれませんね。

2017年6月25日日曜日

【神社ブログ】今思うと『これでいいの?』と感じる 神具って意外と作り方にはこだわっていない?

大阪天満宮には神輿庫があります。


おそらく中の御神輿は天神祭りやなんかで担がれる事になるのでしょう。
御神輿とは神様を移動させる為のもので、小さな神社です。
此処に神様を乗せ、町中を見て回って頂くわけです。

御神輿って、結構重要ですよね。
普段は豪華な本殿におられる神様に乗っていただくわけですから、車で言えばロールスロイスみたいな感じでしょうか。
きっと御神輿を作るとなると、それは特別なものになるのでしょう。

でもここで私は昔の事を思い出しました。
ある家の人が、町内会か何かの流れで、御神輿を作る事を頼まれたのです。
御神輿は大きく大人が担ぐものですが、子供でも担げる小さなものが欲しいとの事でした。
それで私もお手伝いをした(実際はほとんど見ていただけ)のですが、特にただの工作と違いはありませんでした。
出来上がったのも、いかにも手作りしたオモチャといった感じのものだった気がします。

今思うと、『あんなのに神様にお乗りいただいて良かったの?』と思わなくもないですね。{笑}

いやまあ気持ちですし、神様が文句を言ったりはしませんから大丈夫だとは思いますが、神輿庫を見ていてなんとなく思い出したので書きました。

2017年6月24日土曜日

【神社ブログ】神社を見ると昔の日本人が分かる 身長はどれくらいだったの?

神社を巡っていると時々出くわします。
上に渡り廊下があって頭をぶつけないように気を付けなければならない場所に‥‥


ここれは大阪天満宮にある渡り廊下ですが、子供の頃に見た時も思ったような気がします。
大人は頭をぶつけるだろうと。

どうしてこんなに低いんでしょうかね。
おそらく170cmありません。

それで少し昔の人の身長を調べてみる事にしました。

昔の人は身長が低かったと聞いていますが、180cmを超える人もいたと聞きますから、そんなに大きくは違わないでしょう。
そう思っていましたが‥‥

奈良平安時代は男性が160cmを越えてはいましたが、概ね160cm未満です。
明治時代は155cmくらいしかありませんでした。
まさかそんなに低かったのですね。
だったらこの高さで十分だったわけです。

調べてみると社殿が建てられたのが弘化(こうか)2年(1845年)だそうで、日本人の身長が最も低かった時なんですね。
通りで低いわけです。

もしもこの社殿が最近建てられたものだとしたら、こういった低い渡り廊下は無かったでしょう。
こういう所からも年代だとか時代の流れは感じられるのですね。


2017年6月23日金曜日

【神社ブログ】よく知りもしないで使っている言葉ってきっと多いよね!登龍門って成功者のみが通れる狭き困難な道かと思っていました

何気なく使っている言葉があります。

『登龍門』

一流大学への合格は狭き登龍門だとか、この登龍門を通過できたものだけが特別な仕事に就けるだとか。
言っている意味は分かりますが、どうしてそういう言葉なのかあまり考えませんよね。
実際に目で見ると考えないわけにはいきません。



実際に登龍門ってあるんですね。
まああるとは思っていましたけれど、何か武道を究めた者だけが入れる所にある門だとか、そういうのだと思っていました。
或いは究めた者だけがその門をくぐって道場から出てこられるんだと理解していました。

でも違うんですね。

『そこを通り抜ければ必ず出世する』って、逆じゃないですか。

支那の黄河上流で鯉などがその下に集まり多くは登り得ないが登れば龍になる故事に基づいているそうです。
元々は今の意味に近い感じがしますね。

目の前の難関、それが登龍門と言われています。
まあでも、この大阪天満宮の登龍門を通るのも、難関かもしれませんが。{笑}

一度登龍門を通ってみたいですね。

2017年6月22日木曜日

【神社ブログ】大阪天満宮の蛭子遷殿?どうして遷殿があるのか?

今日は大阪天満宮の蛭子遷殿のご紹介です。


この辺り、堀川戎神社のえべっさんが有名で、こちらの蛭子遷殿を知っている人は実は少ないのです。
でも実は大阪天満宮にもえべっさんがおられるのですね。
普段は菅公先生と一緒に、相殿神として祀られております。
でも1月9,10,11日は、蛭児大神は蛭子遷殿にやってこられます。
※遷座は10日?
そして大々的にお祭りが行われるわけです。

でもどうしてこういうやり方をしているのでしょうね。

まず、知らないのも当然で、大々的にお祭りするのは2007年からだそうです。
戦後途絶えていたお祭りが、10年前から復活していたんですね。
だからこの辺りに住んでいる人でも知らないのはあり得ます。

では何故遷殿であり、こちら側に常にお祀りしないのでしょうか。

そもそも蛭児大神をお迎えしたという所が残っているのかもしれませんね。
神社そのものをこちらに移動したのです。
だから遷殿なのです。

まああっちもこっちもとなると管理が大変なのもあるんじゃないでしょうか。{笑}
それに菅公先生も誰かと一緒に暮らす方が寂しくなくていいかもしれません。

そんなわけで、えべっさんの時期以外なら、メインの拝殿でお参りする場合、蛭児大神も一緒にお参りする事ができます。
えべっさんにも会いに行かないとですね。

2017年6月21日水曜日

【神社ブログ】歴史は繰り返す 無駄に繰り返す 鳥居は注連柱が進化したもので間違いなさそう

鳥居とは、注連柱が進化したものだという話があります。
注連柱は聖域とを分けるものであり、鳥居も同じです。
どちらも入口などに置かれ、注連縄が掛けてあります。


これは注連柱です。
でも、鉄パイプが渡してありますね。
これは注連縄が掛けやすいようにしているのでしょうけれど、そのうちきっと思うはずです。
『パイプもしっかり固定して、耐久性を増した方が良くね?』
気が付くと現在の冠木門のような形になるわけです。
更に思うわけです。
『もっと耐久力を上げる為に横木をもう一本増やそう!』
気が付いたら鳥居になるんですね、分かります。

注連柱は神社によって色々な形で注連柱が掛けられています。
柱が二本立っているだけのものから、鉄パイプなど横棒が用意されているものなど様々です。
人間とサルとの間の微妙な動物はいません。
でも鳥居と注連柱との間に当たる状態のものは多々有り、今もまた進化を繰り返しているようです。

気が付くと、今度は鉄パイプが二本通してある鉄パイプ鳥居なんてものができているかもしれません。
もっとオシャレな鳥居が出来上がっている可能性もあります。

歴史を繰り返す中で、あらゆるものは少しずつ進化しているのかもしれませんね。

人間も、何度も旦原点に立ち戻ることで、新たな進化があるような気がしてきました。

2017年6月20日火曜日

【神社ブログ】狛犬が鈴を付けている?理由はあるのでしょうか?

時々、狛犬が鈴を付けている事があるようです。

式内比賣許曾神社の鈴付き狛犬

これは式内比賣許曾神社の狛犬さんですが、鈴を付けていますね。
なんとこの狛犬さんは三つも付けております。
気になったので少し調べてみる事にしました。
どうして鈴を付けているのでしょうか。

調べるとこの神社の狛犬だけでなく、他にも結構いるようです。

鈴は心を清らかにするという役割があります。
その為に付けているのでしょうか。
でも狛犬さん方はそもそも神や天皇を守るものであって、邪悪な心は持っていませんね。

鈴守というものが有り、狛犬を守る為に付いていると考えるとしっくりはきます。
でも売られている鈴守が、狛犬の鈴守だったりと、どっちが先で後か分かりませんね。

伊勢神宮ではそもそも鈴も狛犬もいません。
それはそれらが伝わる以前の伝統を守っているからだという話がありました。
つまり狛犬と鈴に関しては後から付け加えられたものだという事です。
それらが一緒になっているのは、一緒に伝えられたと考えると納得できます。
鈴も狛犬もセットでお守りする為のものなわけです。

支那の影響を受けたという話もあります。
そもそも狛犬自体支那から入ってきたものですから、その影響があるのは当然ですね。
横浜中華街にいる狛犬には鈴が付いているのが多いようです。
それらを渡来系と称している人がおられるようで、やはり鈴付き狛犬は支那系の色が強い狛犬といえるのでしょう。

ただ、どうして支那ではそんな事になったのかは分かりませんでした。{汗}
まあでも普通に、神や天皇を守る為の狛犬、そして狛犬を守る為の鈴でいいのかもしれませんね。

2017年6月19日月曜日

【神社ブログ】宝珠の形をしていると思っていた水器 これは一体なんでしょうか?

神社にはまだまだ分からないものが沢山あります。
それに疑問を持ちはしますが、意識はしない事が多いです。
例えばこれも、疑問を持ちはしましたが、勝手に納得して気にせずにいたものです。


神石の前に置かれている白いもの、これはお供えをする時に水を入れておくものですね。
それはなんとなく理解していました。
形が玉ねぎ型と言いますか、仏教の『宝珠』を形どったものだと勝手に理解していました。
でも今回、どうして蓋を開けてお供えしているのか気になり調べる事で、今まで無意識に納得していたものが間違いであると知りました。

これは、仏教はまるで関係がなく、『神具』なんですね。
別に宝珠の形を真似ているわけではなく、水玉型の水を入れておく容器、『水器』と言うそうです。
てっきりこれは仏教伝来のものだと思っていましたが、これは神道側から生まれたもののようです。
まあ神仏は習合していましたから、『宝珠としても使えるように』なんて思いはあったかもしれませんけれどね。

この白いお供えの際に水を入れる容器は、神道から出てきた水玉を形どった水器です。

さて、色々と新たな知識は得ましたが、今回疑問に思った事はまだ解決していません。
どうして蓋が明けられた状態でお供えされているのでしょうか。
今まで意識して見ていませんでしたが、空いた状態というのは記憶にありません。

調べてみると、朝開けて夕方閉める、或いは参拝する前に開けて終わってから閉めるなど作法としてあるようです。
神様に水を飲んでいただくという意味では、開けるのが当然と言えば当然ですしね。
やり方としては、写真真ん中の水器のような形にするそうです。

今回私は疑問に思えた事で新しい事を知りました。
ネットで調べはしたものの、おそらくネットが無ければ、水器を使う機会には見たままを真似する事ができたでしょう。
でも疑問にも思わなかったら、新しい知識を得る事はできませんでした。

何かに疑問を持つって大切ですよね。
今回はそんな事を思いました。


2017年6月18日日曜日

【神社ブログ】残る神仏習合の跡 日本は何でも日本風に受け入れる

今日はこれについて考えます。


これ、なんでしょうね。
かなりの時間を費やして調べましたが、結局答えは見つかりませんでした。
この鳥居の形をした机というのか台というのか、神社らしくていいですよね。
上に三方が乗っていますから、そこそこ奥行きもありそうです。

さてしかし、調べても答えはなかなかでてきませんね。
頑張って調べると、これに一番似たものとして出てきたのが、『経机』というお経を乗せる机でした。
当然お経ですから仏教です。
それが神社風に形を変えて、今も神社に残っているという事でしょうか。
そもそも神社にはお供え物を乗せる台としては、八足だったり八脚案だったり神饌台だったりがあるわけです。
写真では鳥居の手前にあるヤツですね。
そうではなくこういった豪華なのが使われているのは、仏教の経机の影響を上手く神社に取り入れた結果でしょう。

この辺り、本当の所はわかりません。
まあ正直な所その答えが知りたいのですが、分からない中で想像したり調べ続けるのもまた神社の楽しみ方なのでしょう。
引き続き、これが一体何で、どういった経緯で神社の拝殿にあるのか調べて行こうと思います。

2017年6月17日土曜日

【神社ブログ】日本人の中にある記憶 生まれは関係がないというけれどやっぱり関係がある気がする

人は皆平等、生まれは関係が無いと言いますが、やはりDNAに受け継がれた何かはあるのではないかと感じます。
日本人はやっぱり日本人であり、日本人だけが日本人なのだなと思うのです。

私は大阪中心部にある神社だけですが、結構な数の神社を参拝して回りました。
その中でやはり色々と思うわけですが、神社はこうあるべきだという気持ちも生まれました。


この写真は豊崎神社ですが、とても雰囲気が良いと思いませんか。
写真だけでは伝わりにくいかもしれませんが、とにかく多くの木々の中にある神社なのです。
理屈ではありません。
神社境内には沢山の木が生えている方が良いと、私はなんとなく感じていたのですね。

そうは思っていても、単純に自然が好きだからそう感じていたのだと私は考えていました。
自然が好きだから、神社に限らず全て自然の中にある方が良いのです。
でも他の施設が自然の中にあったとしても、私はそれを意識する事は無かったでしょう。

例えば旅行に出かけて旅館に泊まります。
自然の中に有ればその自然が素晴らしいとは感じますが、これぞ旅館だとは思いません。
夜景の綺麗な旅館でも、海に近い旅館でも、富士山が見える旅館でも、私は同じように良い旅館だと思ったはずです。
でも神社は、自然の中にあってこそだと感じるのです。

その気持ちも、特に不自然には思わないし、どうしてだろうかと考える事はありませんでした。
ごく自然に感じていたからです。
そんな時、ある神社庁のサイトで、こんな説明を見つけました。

『杜とは、聖域の事である』

この言葉で、なんとなく思っていた事がハッキリとしたんですよね。
そもそも杜(森)そのものが神聖な場所と考えられていたのです。
日本とは、そういう感性をもった人達が集まってできた国だったんです。
言われてみて気が付きました。
御神木も有れば、神様が降りてくるのも木だったりします。
おみくじは木に結びますし、私が大好きな素盞烏尊神社のアマテラスちゃんが現れたのも木でした。{笑}

亜人種であるエルフは、人間よりも森を大切にする人種です。
同じ人間ですが、DNAに刻まれた考え方の違いというのは、確実にあります。
これはファンタジー世界の話ですが、今世界に住む人間だって人種で分ける事ができますし、同じ人間ですが違う部分はあると思うのです。
キリスト教の教会は森の中にあってこそ素晴らしいと、アメリカ人は感じますかね。
日本人の作り上げてきた神道の神社だからこそ、日本人は杜の中が似合うと感じるのではないでしょうか。

まあそう感じない日本人も沢山いるかもしれませんけれどね。{苦笑}

教えられなくても肌感覚で理解できる事があります。
肌感覚はおそらく、人種や民族によって、或いは個人レベルでも当然違いがあると思います。
それが個性であり、日本人は他と区別できるのだと思います。

私はこの肌感覚を大切にしていきたいです。
やっぱり日本人って良いですから。
そんな日本人の心そのものである神社、これからも見て回りたいと思います。

一応言っておきますが、別の民族や国の人を差別しようと言っているわけではないですからね。
当然別の民族や国の人には、違った良い所があるはずですから。
そして良い所というのは、きっと共感しあえると思うのです。
ただ、悪い所は知りませんよ?{苦笑}

2017年6月16日金曜日

【神社ブログ】表参道に架かる橋 川もないのに何故か橋があるその理由とは?

神社に行くとたびたび、『どうして?』と思う事があります。
どうして鈴を鳴らすのだろうかとか、どうして二拝二拍手一拝なのだろうかとか、数え上げたらきりがありません。
だから全てを取り上げて説明するのは無理ですが、今日はその中で特に『どうして?』と感じるコレについて考えてみたいと思います。


写真は野里住吉神社の参道ですが、何か普通では考えられないおかしな所がありますよね。
右側の木が凄いとか、そうじゃないですよ。{笑}
左側に写っている橋です。
川も無いのに橋があるのです。
どうしてでしょうか?
探せばこういう神社は結構あります。
本当に元々川らしきものが有った場合もありますが、参道や拝殿の正面に意味も無く橋がある事はあるのです。

意味も無く、ではないはずです。
おそらく何か意味があるのです。
今日はそれを少し考えようと思います。

以前写真紹介サイトの方でもこの話題は取り上げたかと思います。
その時は、あの一休さんのトンチから、橋を置く事で端を歩きなさいという意味があるのではないかと私は言いました。
参道は、真ん中は神様の通る道とされ、端を歩かなければなりません。
それを忘れない為に橋が置かれているという考えです。

でも普通の人はそんな事に気が付きますかね?
一休さん世代の人間にしか分からない可能性もあります。{汗}
ちなみに一休さんって、皇族男系男子なんですね。
そう考えるとまた見たくなってきたわけで、何処かの地上波で放送してくれると嬉しいです。

話がそれましたが、まあこの理由だけだと橋の意味が弱い気がします。
それに神社では、と言うよりも日本という国では、何かに複数の意味を持たせるというのは多々あります。
だからきっと他にも理由があると思うのです。
簡単な所だと、神様とを繋いでくれる架け橋ですね。
鈴緒(鈴に付いた紐)も神様と繋ぐという意味がありますし、橋にもそういう意味があっておかしくないです。

他には、神の世界とを繋ぐという意味があるかもしれません。
世界を分けるのに河というのはよくある事です。
都道府県市区町村を分けたり、世界の国々も河で分けられていたりします。
橋の向こうを神の国とする為に橋があるとも考えられるわけです。

さて、正解はあるのでしょうか。
いつも通りGoogle大先生で検索してみる事にしました。
『川が無いのに橋がある』で検索してみると、『橋のない川』ばかり出てきます。
Google大先生、日本語をしっかり勉強してください。{笑}

色々検索して感じたのは、やはりその場所には昔、川があったというものです。
神社は歴史を残しておく場所ですから、橋を残す事で昔の状況を記憶しているのです。
実際にそうだという神社もありますからね。
それに川の向こうに拝殿をおくという地理的要素を持った神社も多いです。
そもそもそういう場所に建てたとも考えられるわけです。

ある本に書かれている話からは、やはり端を歩くという意味も込められている気がしますね。
明治22年(1889年)の式年遷宮から、伊勢神宮の参道にある宇治橋は架け替えられるようになりました。
その橋の真ん中には盛り木がされています。
真ん中を歩けないようになっていますね。
伊勢神宮のホームページ
私の考えもまんざら間違いではなさそうです。

他にも、神に近づいてゆくという実感を得るために、普通の道とは違った何かを置くという事がされているようです。
階段だったり、橋もおそらくそうなのでしょう。

私が思った通り、橋には複数の意味が込められているようです。

こうやって調べると、本当に神社は面白いですね。
神社というより、日本という国がでしょうか。
昨日書いた記事ではありませんが、本当に日本っていいなと思います。

2017年6月15日木曜日

【神社ブログ】神社を巡ると日本が好きになる!日本人が好きになる!平和な日本はやはり日本人の国だ!

世界の歴史を勉強すると、日本という国がいかに平和で進んだ国だったのかが分かります。
ある人の言い分をそのままお伝えしますと、海外で殺人が無条件に駄目だとされたのは、早くてもここ何百年かの話です。
しかし日本は、千年以上も前からそうでした。

日本は平和で穏やかな国造りという意味では、超先進国なのです。

とは言っても、本当にそうだったのかは個人レベルでは確認しようがありません。
タイムマシンも無いのですから証拠もありません。
ですが日本人が造った国だと考えると、そうであったという確信は持てるんだと言う事が最近分かりました。

神社を巡っていると、日本人がいかに穏やかであるか、あったかが分かります。

少し神社と話が離れるかもしれませんが、仏教を考えると分かります。
概ね宗教というのは根本部分で変えられないのがネックとなり、宗教戦争や今でもテロ集団の傍に宗教が有ったりします。
でも日本では、仏教は神仏習合も果たし、柔軟に変えられてきました。
その教えも最初は厳格なものだったかもしれませんが、日本人に合ったものに変わるにつれ、最終的にはかなり適当なものへと進化しています。

キリスト教の教えは、信者しか救われなかったり、そもそも救われる人は最初から決められていたりします。
仏教も、他の宗教に排他的な部分が有ったり、念仏を唱えないと死後極楽に行けない等のルールがありました。
でも日本に来れば、都合の良い所だけを取り入れたり、仏教も仕舞いには死んだらみんな神様になるというユルユルの解釈へと進化してゆくのです。

『死んだらもうみんな神様でいいじゃん』

そんな事を言っている昔の日本人の姿が思い浮かびます。
※こんな言い方ではなく、あくまで印象です。

そしてやはりその根幹にあるのは、日本人の心が生み出した神社であり神道ですよね。
排他的な部分はなく、みんなが神様というユルユルの発想は、日本人だからこそだと思います。

いかにユルユルなのかが分かるものが神社には残されています。


これがなんだか分かりますか?
絵馬ですね。
でも馬の絵が描かれていません。
日本人は、今自分達に都合がいいように、適当に柔軟に変えて行ける穏やかさがあります。
だから鶏の絵が描かれていてもこれは絵馬なのです。

ところで絵馬はどうして生まれたのかご存知でしょうか。


こちらは絵馬殿ですが、奉納された絵馬が飾られています。
絵馬は奉納される為のものですが、何故このようなものが奉納されるようになったのでしょうか。
それは、神聖な動物である馬がそもそも奉納されていたわけですが、奉納する方もされる方も色々と厄介ですよね。
馬は手に入れるのが難しいですし、貰っても世話が大変です。
そこで昔の日本人は言ったわけです。

『もう絵に描いた馬で良くね?』

そしたらみんな空気を読んで『だよねぇ~』なんて言いながらなんとなくそうなっていったのだと想像します。
※こんな言い方ではなく、あくまで印象です。


そして今では小さな絵馬に願い事を書いて、奉納と祈願を一緒にしちゃってもいます。

『奉納して祈願するんだからもう一緒で良くね?』
『おっ、おう!』
※こんな言い方ではなく、あくまで印象です。

御百度参りや何ヶ所かを参拝するものも簡略化されたりしています。

おそらく遠い昔、海外から色々な思想が入ってきたのだと思います。
でも日本に来ると、それらはことごとく骨抜きにされユルユルになってきたのではないでしょうか。
そんな事が想像できてしまいますね。
それでいて守られている部分ってのも実は結構あるのが日本です。
この辺りに、大切なモノとそうでないモノの境があるのだという気がしますね。
こんなにユルく穏やかな日本人が頑なに守ってきたものは、おそらく相当大切なものなのだと思うのです。

日本の歴史を見れば今の日本が分かります。
神社を見て今の日本を知り、私はますます日本という国を大切にしたいと思いました。

2017年6月14日水曜日

【神社ブログ】狛犬はどうして角が生え、今それが消えているのか?妄想が暴走!

狛犬と獅子の違いは、以前にも色々と書きました
結局結論としては、角の有無でしか分からないとなったわけですが、今その角のある狛犬が減っています。


写真は野里住吉神社の狛犬ですが、角はもうほとんどありません。
進化すると不要なものは消えていくわけで、人間だって尾骨が尾が有った時の名残として残っていますが、ドンドン無くなってきたわけです。

だから狛犬にも、角はもう必要が無くなったという事なのかもしれません。

獅子はそのままでも霊力が強く、その証拠に毛が渦を巻いています。
狛犬はそこまで霊力がないので、角に力があると言われていました。
でもこの写真の石像を見ても、毛が渦を巻いていますね。

つまり狛犬も獅子と同様に強くなった、或いはもう獅子そのものになったから角はいらなくなったという事なのではないでしょうか。

でもそもそも何故、獅子が二体で中国から入ってきたのに、日本では一体が弱くなってしまったのでしょうか。
雌雄という話から分けたとも考えられますし、足手まといがいた方が強くなるって事なのかもしれません。
よりしっかりとした働きをする為に、役割分担した可能性もあります。
色々考えられますが、私は別の意味がここにあったのだと感じます。
今角が無くなる方向に進んでいるというのは、おそらくそうした方が良いからですよね。

だから角を付けた当時も、誰かにとってそれが良かったはずなのです。

『角が付く=弱くなる』わけですから、やはりそれを普通に国民が望むのは考えられません。
今でもそうですね。
自衛隊が弱い方が良いという思惑は、主に海外の国の意思です。
日本としては本当は強い方がいいのです。

でもそれと逆行する場合は、おそらく海外の思惑がそこにはあったと思われます。

支那は、常に自分達が地域のナンバーワンであり、日本の事は差別してきました。
その辺りの思惑が、日本で狛犬というものを生まれさせたのではないでしょうか。
犬というのは、悪い意味もあります。
そして角は、支那が日本を差別する時に使う『日本鬼子』からも良いものではありません。
日本は弱く邪悪な存在で、支那の犬(パシリ)みたいな意味を持たせる為に、上手く誘導されて狛犬が誕生してしまったのではないでしょうか。

しかし近年、何処かおかしいと感じ始め、角は無くなり、元の獅子へと戻っているのかしれないと思うわけです。

まあ別にどうという話ではないし、本当は何か別の意味が有るのだとは思います。
単純に面倒になったらからかもしれませんし、最近狛犬が作られているのは中国だからかもしれません。
でもこうして色々妄想して楽しめるのも歴史の良い所です。

そんなわけで、私は狛犬の角が無くなってきているのは、妄想したような理由があるからだと思い込みます。{笑}
別に誰にも迷惑にならないですからね。

2017年6月13日火曜日

【神社ブログ】今日はこれだけ‥‥先日のブログで言っていたアレの画像

神社ブログ、前々から言っていますがネタ不足です。{苦笑}
だから今日は先日のブログで言っていたアレの写真を一枚だけです。

チョッピリだけ変わった百度石の紹介

紹介しましたよね。
そこで、もうすぐ一番珍しいのではないかと思う百度石を~なんて話をしました。
アップしますが、思ったほどでは無かった感じです。

六角柱の百度石

六角形の百度石です。
画像検索すると数点見つかりました。{汗}
画像検索で見つかるという事は、そこそこの数はありそうですね。
円柱よりも数は少なそうですが。

さてこれだけで話が終わると寂しいので、こういった石柱はどうやって作られているのだろうかと調べてみました。
石碑なんかは古くからあるわけですし、石灯籠も有ります。
今のような道具が無かった時代はどうやって作っていたのでしょうか。
勾玉は何ヶ月だったか何年だったかは覚えていませんが、とにかくあの形になるまで砥石か何かで削っていたって話を聞いた事があります。
もしもこれだけ大きく綺麗な百度石を作ろうと思ったら、相当な時間と労力が必要だった事でしょう。

まあ結局分かりませんでした。{汗}

最後の仕上げとかは砂をこすりつけたりしていたのでしょうかね。
昔からこのような六角柱の百度石があったとは思えませんけれど、狛犬なんかは900年くらい前には石造りのものがあったわけで、本当にどうやって造っていたのか気になります。

2017年6月12日月曜日

【神社ブログ】神社によって違うとされる注連縄の紙垂と〆の子の数 神社によってここまで違いますか

神社に行くと必ずあるものの一つに注連縄があります。
注連縄とは、説明しなくてもだいたい想像はできると思いますが、その作りは神社によって違うとされます。


これは塚本神社にある手水舎ですが、そこにある注連縄には、紙垂と言われるギザギザの白い紙と、〆の子と言われる藁の飾りがつり下げられています。
リンク先の説明にあるように、〆の子の間に紙垂を垂らしたものが注連縄となります。
ただその数は神社によって違います。
この塚本神社では、〆の子が五つ、紙垂が四つというほぼ標準タイプのようですね。
〆の子はだいたい五つか三つ、紙垂が四つのいうのが多いようです。
〆の子が三つの場合は、間に紙垂が二つずつ吊り下げられていたりします。

何度も言いますが、これが標準ですが『神社によって違いがある』とされています。

さて、私はこの日本語をこう捉えます。
神社によって違いはあるものの、当然神社では統一されていると思っていました。
つまりこの手水舎が塚本神社のものであるとするならば、他の注連縄も全て、〆の子が五つ、紙垂が四つだと判断します。

しかし違っていました。


何でしょうこの注連縄の形は。
〆の子が五つは同じですが、紙垂が二つしかありません。
〆の子の間に紙垂があるという注連縄の定義にも反しています。
これはどういう事でしょうか。

拝殿はどうなっているのか確認します。


〆の子は五つと変わりませんが、紙垂の位置がおかしいです。
数は四つありますが、〆の子の間に無い所もあります。
これも注連縄の定義に反しますね。

他の所も見てみましょう。


この小さな祠はまともでした。
〆の子が五つで、紙垂が四つ、そしてちゃんと〆の子の間を紙垂で埋めています。
おそらくこれはこの神社とは別の摂末社という事でそちらに合わせているのでしょう。

つまり他の摂末社は大丈夫だと‥‥


おいっ!!{笑}

〆の子が五つは共通していますが、紙垂の位置がおかしいです。
真ん中の〆の子に重ねるようにあり、外側の紙垂も〆の子の外にあります。
〆の子の外にある場合もありますよ。
それは紙垂の数が多い時です。
でも綺麗に交互にはなっているのです。

神社によって〆の子や紙垂の数が違うというのは分かります。
でも、同じ神社でも統一性が常にあるとは限らないのですね。
〆の子が五つという部分では統一されていましたが、紙垂の数と場所は多くがバラバラでした。

塚本神社は、〆の子は五つの神社です。
でも紙垂は『適当』という神社かもしれませんね。
ちょっと面白い神社です。

2017年6月11日日曜日

【神社ブログ】リサイクルは神社から学んだ?逆ですか?!今も神社に残る日本の勿体ない精神!

ゴミはリサイクルすれば資源になります。
『勿体ない』という言葉は日本にしかありません。
経済的な観点から見れば、今は何でも捨てて何でも新しく買う方が良いという考えもあります。
でもやっぱり使えるものは最後まで使い、できるだけ物は大切にしたいですよね。
こういう考えは、貧しい時代ならあって当然だとは思いますが、物が溢れている時代、或いは裕福な人であっても日本人なら持っていると思います。

さてそれはどうしてだろうかと考えた時、神社を見れば少し分かる気がします。
神社では今でも、リサイクルや勿体ない精神とは違った形で、それが行われているのです。


全くこの話とは関係がありませんが、ここに一枚の写真をアップします。{笑}
手前にあるお供え物を置く台でしょうか、鳥居の形をしていますね。
ちょっとこれが珍しくて、『鳥居の形をしたお供え台』で検索してみました。
すると出てきた記事が、『古くなった鳥居の木材を使ってお供え台を作る』というものでした。

そこで思ったわけです。
そういえばこういう話が神社には多いのです。

堀川戎神社には、鳥居で造った福興戎像がありますね。
他にも震災で壊れた鳥居の石を石碑にしている所もありました。
色々と壊れてしまったものを別の用途で再利用している神社も見かけます。

これって日本人の精神そのものではないでしょうか。
壊れたら別の用途で再利用する、或いは加工しなおして新たな新しいものとして使うわけです。

神道の精神は『全てに神が宿る』というものです。
ですから、そう簡単に物は捨てられないのです。
最後まで徹底的に使うのです。
そういう考えがあるから、日本人は神社に学び『勿体ない』精神が形成されてきたのではないでしょうか。

いや、違いますね。
逆ですね。
そもそも神社は、日本人の文化から生まれたものです。
日本人の考え方そのものが神道と言っていいでしょう。
全てのものを大切にしないと生きていけなかった時代、大切にする事で生きられ、それを神様に感謝していたのです。

今は消費社会でドンドン消費する事が良しとされる時代です。
でもそうではない部分ももちろんあります。
枯渇性資源の辺りですね。
石油は神様からの贈り物で大切にしなければなりません。
コストがかかるからと言って無駄にしていいものではないのです。
お金とは労力です。
労力を惜しまず、資源を大切にしてきた日本人の心を取り戻す事が、もしかしたら今必要なのではないかと、神社から、いや昔の人から伝えられている気になりますね。

神社は、昔の人の教えを記憶している場所です。
全てが現代に当てはまるものではないかもしれませんが、神社を訪れたら何か感じるものがあるかもしれません。
考えるきっかけを作る為にも、時々神社に参拝するのは必要なのではないかと思います。

2017年6月10日土曜日

【神社ブログ】大阪市中心部にある神社の中からほんのチョッピリだけ変わった百度石を色々とご紹介

今日は今まで色々神社を見て回って見つけた、少しだけ変わっている百度石をご紹介します。
実は一番変わっている百度石はまだ写真整理していない中にあったような気もしますが、それはいずれ写真サイトの方で紹介する事になるでしょう。

百度石は普通、四角柱の石柱に百度石と彫られているものです。
普通というのはあくまで私の見た範囲でですよ。
他府県に行けば形も違うかもしれません。
そこからチョッピリだけ外れているものをご紹介します。

まずは軽く‥‥


柴島神社の百度石は、『御百度』と書かれています。
こう書かれていたのは、私が見た中ではここだけでした。
おそらくそんなに珍しいものではないと思いますが、まずはジャブです。

続いて‥‥


露天神社の百度石です。
度に点が付いています。
ほんのちょっと珍しいと思っていたら‥‥


八坂神社の百度石にも点がありました。
こういう崩した字を書く時は点を付けるものなのかもしれません。

はい、まだまだそんなに珍しくなさそうな感じですね。
続いては‥‥


若宮八幡大神宮の百度石です。
文字が綺麗に黒塗りです。
黒っぽいとかはありましたが、ここまでしっかりしているのはあまりないですね。

でも‥‥


菅原天満宮の百度石は黒文字で更に円柱でした。
円柱の百度石を見たのはこの神社だけだったと思います。
これは珍しいのではないでしょうか。

次は‥‥


神津神社の百度石は墓石のようであり、更にがっちりと守られている感じです。
なんだか移動可能な感じもしますね。

移動できると言えばこちら‥‥


堀川戎神社の百度‥‥標です。
これは完全にどこにでも置けるように作られています。
気分によってこれを拝殿近くに置く事もあるのでしょうか。
参拝者が自分で移動させたりしそうです。{汗}

続いて‥‥


天神社にあった百度石は、少し土に埋まっています。
埋まっているのは他にもありましたが、この百度石はとにかく小さいです。
体の固い人はお百度参りが辛いかもしれません。


大阪天満宮の百度石は、常夜燈と一緒になっています。
夜でもお百度参りができるようにという事でしょうか。


姫嶋神社の百度石は、なんだか良さ気な石に百度石‥‥百反石と書かれているような百度石です。
個人的にはこういう方が効果がありそうに思えます。
石も良さ気ですよね。


逆に産湯稲荷神社の百度石は、普通の長ぼそい石に百度石と書かれたもので、少し頼りないです。{笑}
鳥の糞も垂れてますし、ちょっと可哀想な感じですね。
まあでもそれくらいの方が愛着がでてきそうで、個人的には一番好きです。

はい、珍しいというにはそれほどではありませんが、ほんのチョッピリだけ変わった百度石たちでした。

2017年6月9日金曜日

【神社ブログ】仁風と書かれた石碑を見て 仁徳天皇の風の事かな?

八坂神社に、このような石碑がありました。


仁風だそうです。
これを見た時私は、『仁徳天皇のような素晴らしい行いをしていこうという風を起こす為の石碑』だと思いました。

早速調べると、こう書かれていました。

『仁徳による教化』

やはり仁徳ですね。
教化というのは『人を教え良い影響を与えて善に導く事』ですから合ってますね。
しかし少し疑問が生まれました。
仁徳天皇は人々を善に導く教えをしたわけでは無かった気がします。
自らの行いが素晴らしかったわけで‥‥

『仁徳とは』
仁愛の徳、思いやりの心。

ついうっかり『仁徳=仁徳天皇』と勘違いしてしまった話でした。{笑}
でもGoogle大先生もそう思っていますよ。
『仁徳』で検索すると最初に表示されるのは仁徳の意味ではなく、仁徳天皇ですから。

なんにしても神社は我々に訴えています。
思いやりの心で教育を行い健全な日本人を育てなさいと‥‥
教育は親の顔色を窺ってやるものではないのです。
子供達への愛を持って行うものなのです。

今日は仁風についてでした。

2017年6月8日木曜日

【神社ブログ】神社は小さな博物館 神社にあるものを調べると面白い

神社には時々、神社とは全く関係の無いものが置かれていたりします。
歴史的価値のあるものを保存しているのでしょうね。

出来事を石碑に記して残しているのは、今までも散々言ってきました。
戦争だったり震災だったり、皇室の大典に関するものも沢山あります。

神社の歴史に関するものも結構多いです。
前の社殿の鬼瓦だったり、壊れた鳥居の一部だったりですね。

それらとは違うものも実は時々見かけるのが神社です。


左側に『西成大橋』と書かれた石柱があります。
一体何故神社にこんな石碑?が置かれているのか気になりますよね。
するとやっぱり調べるわけです。
そしたら色々な事がここから分かって面白いです。

この辺り(川向う)が西成郡海老江村(後の花川町)だとか、この橋の歴史も知る事ができますね。
この石柱自体、写真の八坂神社だけでなく、花川町にある鼻川神社にもありました。
写真サイトの方で紹介しております。
それで分かったのが、これは橋の『親柱』なのだそうです。
だから複数あるわけですね。

実は前々から橋の名前が書かれた橋の入り口にある石をなんというのか気になっていました。
これで親柱という事を知りました。
そこから伸びた手すりを『欄干』だったり『高欄』と言うのも一緒に知りました。

世の中全てのもに言えるとは思いますが、何かに疑問を持ち調べたりすれば何かを知る事ができます。
だから別に神社にあるものが特別ではありません。
ただ、神社に残るものを調べると、スケールが大きいと感じますね。
それはどれも、博物館に置かれるようなものなのです。
それが何気なくそこにあるのが神社という場所な気がします。

神社を巡るのは、開放的な博物館を渡り歩くようなものかもしれません。
そもそも神社自体博物館にあるようなものです。
神社って色々な意味で『良いな』と、改めて思いました。

2017年6月7日水曜日

【神社ブログ】神社に行く時に知っておきたい旧字など 思いつく範囲で書いておきます

神社に行くと、沢山の石碑があったりします。
そこで多少は文字が読めないと意味が分からなくて楽しさが半減するんですよね。
だから、『行く前にこれくらは覚えて行って欲しい』という文字を思い出せる範囲で書いておきます。

まず覚えて行って欲しい舊字ですが‥‥
早速ですが『旧』という字は『舊』と書かれている事が多いです。
或いは下の臼の部分が旧になっています。
だからこれはまあなんとなく読めますよね。

次も多分読めると思いますが‥‥


『略』は『畧』となっています。
これも文字の流れから読み取る事ができますね。

では『寶』は読めますか?
これは『宝』ですね。

『攝』はわかりますか?
これは『摂』ですね。
摂社を攝社と書かれている事が多いです。

『權』は『権』です。
権殿を旧字で書かれている場合があります。

では次、これは結構覚えておく事をお勧めします。
『廿』や『廾』 、或いは『丗』や『卅』です。
読めますか?
これは前の二つは二十、後の二つは三十と読みます。
明治三十七年なら、明治卅七年と書かれていたりするわけです。

現在も残っている辺りだと、蹟(跡)だったり、遙(遥)だったりは普通に使われています。

他にも色々専門的な用語もありますから、こちらのサイトを一通り見るといいですよ。{笑}
似たような文字で想像できるのも結構ありますが、それらはだいたい印象で分かると思います。

それにしてももっと色々とあった気がしたのですが、多くは寺院の名前でしたね。
『寿』が『壽』だったり、『円』が『圓』だったり『号』が『號』だったり。
後は神様の名前が知らないと読めなかったりします。
素盞烏尊神社なんて最初読めませんから。
愛宕神社も読めませんでした。

そうそう、結構当て字だったり、右から読む事も多いのでその辺りも分かっておかないと最初意味が分からないかもしれません。

神社に行く前にある程度知識があると楽しさが大きくなります。
経験者が語ります。{笑}
それに日本人なら、少しでも神社の事や昔の日本を知るのはプラスになると思います。
この記事が少しでもそのきっかけになってくれたらいいですね。

2017年6月6日火曜日

【神社ブログ】神社検索で出てこないような町の小さな神社に共通点あり?分かってくると面白い!

神社巡りをしていたり、或いは別の用事で街を歩いていると、偶々小さな神社を見つける事があります。
Google大先生のマップで検索しても出てこないような小さな神社です。
そういう神社を見つけると嬉しくなりますね。
そして何故そこに神社があるのかを考えるとまた面白いです。
今日はそんな神社について、気が付いた事を書いて行こうと思います。

町の小さな神社で多いタイプが『会社の稲荷神社』ですね。
ビルの上だったり、或いは会社の敷地内に稲荷神社が置かれているのをよく見ます。


これはどう見てもこの会社の神社といった感じでした。
こういった神社は概ね稲荷神社である事が多いです。
理由はもちろん分かりますよね。
商売繁盛を祈願し、叶えられると鳥居を増やしていく事ができますから。

続いてこちらの神社はどうでしょうか。


民家の一角にある松乃木神社です。
説明によると、火除けの神様のようですね。
火災の時、松の木だけが残ったそうで、そこからその松の木が神として祀られるようになったわけです。
これは地域の安全を守る神様と言えるのではないでしょうか。
これもここにある理由がハッキリと分かりますね。


続いては公園の中にある狸坂大明神です。
鳥居が並んでいる所を見るとどうやら稲荷神社のようです。
話によると狸が祀られているとか。
この辺りは火災が多く、火除けを祈願する神様のようです。
松の木神社と信仰対象は違うものの、地域の安全、或いは公園にあるのをみても子供達の安全を守る神社と言えるのではないでしょうか。

このように、調べれば当然どの神社にもそれなりの目的があってそこに存在しているわけですが、その中でも特に分かりやすいのがこのような神社です。



後ろに御神木がありますね。
調べると多くが大阪に存在する神社です。
理由は戦争の空襲に関係があるみたいですね。
かなり大阪の町が破壊された中で、その被害を免れた一部の区域が、区画整理の際に木を切り倒さなければならなかったようです。
しかしこういった大木は神が宿っていると考える文化の日本ですから、簡単にはいきません。
色々事故が起きたといった話は、何処の木でもあるようです。
そうなれば祠を建ててお祀りするしかありません。
こうして残っている神社が、大阪の町には結構あるようです。

さて、こういうして色々見てきて、私は気が付いた事があります。
まず、どれも動植物をお祀りしているという事です。
木をお祀りしている稲荷神社もありますが、稲荷神社はそもそも巳さんを祀る神社だったという流れもあり、今ではその色がどの稲荷神社でも見られます。
狐の尻尾に乗っていたり、神紋として宝珠がありますね。
宝珠は巳さんがトグロを巻いた姿とも言われており、『稲荷⇔巳さん』というのは結構繋がりがあります。
そして御神木もまた、巳さんとの関わりが強いですね。
御神木を巳さんとして祀っている事は多く、下の二つの写真は両方、龍王、白龍です。
龍は蛇の別の表現となっており、両方巳さんなわけです。

他にも御神木が有り巳さんとして祀られている場所、或いは稲荷神社が置かれている場所はいくつもあります。
そしてその半数近い所で共通しているのが、仏教色が強く残っているという事です。
稲荷神社自体そうですが、例えばハッキリしているのはすぐ横に『お地蔵さん』が置かれていたり、或いは鳥居の色が朱色だったり、魔除けの柵で囲われていたりします。

町の小さな神社は、『①稲荷神社系である』『②ご神木をお祀りしている』『③巳さんを祀っている』『④仏教色が見られる』この辺りの条件を一つから四つ満たしている神社ばかりなんですね。
中でも木を切らずにそのまま残してお祀りしている神社のなんと多い事でしょうか。
大阪だけだという風にも聞きましたが、だとしたら大阪の町って素敵だなと思います。

関東大震災の際、津波で色々なものが流される中、残った松の木がありました。
奇跡の一本松と呼ばれ、復興の象徴となりましたよね。
それは色々な手段をもって残される事になりました。
それに似た話が、大阪には沢山あるという事なのかもしれません。

そんなわけで、大阪には多くの御神木がありそれを祀る神社があります。
できれば全部見て回りたいですね。
そしてその理由も調べていけたらと思います。

2017年6月5日月曜日

【神社ブログ】この鳥居は珍しくない?恵美須神社の境内にある豊受稲荷宮の鳥居

私は今までに色々と珍しいと思うものを紹介してきました。
中でも鳥居は神社巡りを始めた頃、何も知らない時にまとめて紹介しました。

少しだけ変わっていると思われる鳥居をご紹介します!

ただ、今考えると意外と普通だったりするものも多いんですよね。{汗}
『鳥居の笠木が五角形だ!』なんて言っていたらそれが普通だったり、『鳥居が白だ!』と喜んでいたらそれも普通だったり。
神社の知識があまりない人って、鳥居の色は朱色だと思っているのではないでしょうか。
まあそんな感じで、知識が無ければ何でも珍しく感じるものです。

さてしかし、そこそこ知識を集めてきた私でも、まだこれは珍しいと感じる鳥居を発見しました。
恵美須神社の境内にある『豊受稲荷宮の鳥居』です。


一見、特に珍しいと感じる所なんてなさそうです。
私も今までは全く気が付きませんでした。
そしてそれに気が付いて調べてみても、意外とこのような鳥居は見つかりませんでした。

さて何処が珍しいのでしょうか。
ヒントは楔(くさび)です。
なんと楔の色が黒なんですね。
一瞬楔が無いように見えたんですよ。
それでよく見ると黒の楔だったわけです。
楔が無い鳥居というのは全く珍しくはありませんが、朱色の鳥居で楔が黒なのは、Google大先生で検索しても私には見つけられませんでした。

そんなわけで、珍しいものは鳥居に限らず、色々な神社に色々と存在します。
そんな珍しい探し、神社巡りをしながらやると楽しいですよ。
そんな事を先日も言いましたが、その違いの意味を考えるのも楽しいのです。
この鳥居に関しては意味はなさそうですけれどね。

ただこの神社に関してはもう一つ気になった点がありました。
豊受稲荷という部分です。
あのアマテラスちゃんとマブダチの豊受ちゃんかと思ったら違うんですね。
いなり神社にピッタリの神様だと思ったのですが何故か違うのです。
こういう所をまた調べていくと面白いかもですね。

2017年6月4日日曜日

【神社ブログ】世界ふしぎ発見で源義経が生きて北に逃げていたという放送をしていたがこれは本当でしょう!

世界ふしぎ発見というテレビ番組を見ていました。
源義経が死んでおらず、北に逃げたという話です。
各地に伝承が残されており、更にそれにまつわる神社も実在するというのです。

私はこの番組を見て、源義経は確実に生きていたんだと感じました。
神社とは前々から言っている通り、本当の歴史を残す場所でもあるのです。
その神社がわざわざこんな嘘を言うメリットは無いですからね。

私は神社を巡り、日本の歴史を勉強する中で、日本という国が少し分かってきた気がします。


これは玉造稲荷神社にある豊臣秀頼公の銅像ですが、この人の最後は皆さんご存知かと思います。
大阪城にその石碑が残されています。


此処で死んだ事になっていますが、死んだとは書かれていませんね。
実際は薩摩に逃げていたというのです。
今もある島津家の方に聞いた人がいまして、間違いなく生きていたそうです。

ハッキリ言って生きていようといまいと、その後なんの影響も無かったのですから、わざわざ生きていたという嘘を言っても仕方がありません。
なのに生きていたという話がこれだけあるのは、やはり生きていたと考える方が自然です。

日本という国は、将棋に代表されるように『敵を殺す』ことが戦争の目的ではありません。
勝利条件を満たしてしまえば、別に敵の大将だろうと殺す必要がないというのが長年の文化なのだと思います。
でも生きていると知られては困る人というのもいるわけで、そういう人は『死んだ事にする』という方法で上手く生かされたのが日本なのです。

源義経然り、豊臣秀頼然りです。

明治維新の徳川慶喜だってそうです。
薩長同盟、新政府側から見れば敵の大将です。
でも殺される事はありませんでしたし、事実今も子孫の方がおられます。


靖国神社で宮司をしておられますよね。

日本人は無駄な殺生はしない、目的さえ達成できたらそれでいいという考えの人が集まる国なのです。

伝説という言葉があります。
伝説はあくまで伝説ですが、伝承されてきた説であって嘘ではないのです。
その間尾ひれはひれが付く事はあったでしょう。
でも根本部分はおそらく違いないのです。
そして特に神社の伝承は、歴史を残す為の場所で残されたものなのですから、概ね間違いがないと私は思います。

源義経が来なかったら、この神社は無かったと言われる神社もあるわけで、まあ間違いないですね。
ただ、表向きの歴史としては、死んだ事になっていたのだからそれもそれはそれでいいのかもしれないと思います。
学校で教える時は、『この時死んだ事になっています。でも、生きていた形跡が残されてもいます。』とそのまま全て伝えればいいのではないでしょうか。
その中で子供達が考えるわけです。
『どうして死んだ事にしたのか』『死んだとされなくてはならなかった理由は』『どうしてこんな事ができたのか』
考えるのは楽しいですし、そこから日本の良さや社会を学んでくれたらと思います。

神社を巡っていなければ全く興味も無かった話が、今は神社を知った事で色々楽しいですよ。

管理者:秋華Google+   秋華エントランス   サイト説明