2017年4月12日水曜日

【神社ブログ】多くの神社に石碑が残る日露戦争の跡 いったいどんな戦争だったのか?

先日お話した通り、神社を巡っていると日露戦争に関する石碑が多く残されている事がわかります。

【神社ブログ】神社は正しい歴史を記録しておく所 神社を巡ると真実が見えてくる


この石碑は天王田の八坂神社にあるものです。
明治卅七八秊戦役と書かれています。
※明治三十七八年戦役
もちろん日露戦争の事です。
我々は多くの神社が残す日露戦争について、しっかりと理解し知っておく必要があるのではないでしょうか。
そこで今回は日露戦争について話をしたいと思います。

話は江戸時代後期からしなければならないでしょう。
この頃の世界は、ヨーロッパの白人国家が力をつけ、ドンドン海外に進出し植民地を増やし、世界の構図が日ごとに変わってゆく時代でした。
植民地になったその他の国々は、国民が奴隷となったり、酷い摂取を受け、腕を切り落とされたり命を奪われる事もあたり前でした。
オスマントルコ、ペルシャ、ムガール帝国、清と、その対象は徐々に大陸の東へと向かっていました。
大きな力を持っていたのは大英帝国とロシアでした。
ロシアは凍らない港を求め、侵略の対象を大陸の東へと移し、それを大英帝国が阻止する流れがありました。

それを知った日本人は危機感を持っていました。
清の次は日本だと。
そんな中、日本が大きく変わるきっかけとなったのが黒船来航です。
細かい話は省略しますが、アメリカだけでなく、日本は世界の情勢を知って行動を起こします。
まずは日本が強い国にならなければ確実に滅ぼされてしまう状況でした。
そうならなくても、他国のように酷い事になるのは目に見えていました。
長州の高杉晋作は自分の目で上海を見てそれを知っていましたね。
だから危機感は他の人よりも強かったのではないでしょうか。
そんな高杉晋作だったからこそ、明治維新の大きな力になったと言えるでしょう。

明治維新の後は、いよいよ富国強兵が急がれました。
その頃の日本は世界と戦えるだけの力はありません。
そこで考えたのが朝鮮半島にも自立してもらって、一緒に対抗しようという事でした。
もしも朝鮮半島がロシアに取られたら、基地をつくられ、そこから攻め込まれ、日本の亡国は確実な状況でしたから、朝鮮半島も守らなければならなかったのです。
しかし日本がいくらそれを朝鮮半島に求めても、朝鮮半島の形は変わりませんでした。
庶民は愚民化政策の中ほとんどが最底辺の生活をしており、上の者は強い国にただ付き従うだけでした。
そんな朝鮮半島を守る為の戦いが日露戦争です。

この頃の朝鮮半島を思うと、今の日本と凄く重なります。
アメリカについたり、中国についたり、ロシアと仲良くしようとしたりしながら、決して自国を自分たちの力で守ろうとはしません。
その結果どうなったのでしょうか。
朝鮮半島は物のように扱われ、単なる戦場となったのです。
この事を知っていたら、今の日本はあり得ないと分かります。
全く歴史を教訓としていませんね。
戦わずして勝とうなんて思っているのでしょうが、最終的には軍事力がなければやられてしまうのです。

ギリギリの中で行われた日露戦争は、なんとか勝つ事ができました。
これは当時の世界では衝撃的な出来事でした。
とにかくこの戦争で勝てた事で、日本は日本として残る事ができたのです。
もしも朝鮮半島を黙ってロシアに渡していれば、当然半島は軍事要塞化され、そこからロシアの侵略が広がっていた事でしょう。
日本なんてあっという間に飲み込まれていたに違いないのです。

その後大東亜戦争は、白人に侵略された多くのアジア各国を解放する為の戦いでした。
これはあくまで建前だと理解している人も多いかと思いますが、その建前が無ければ戦争なんてできなかったわけで、日本から見ればやはり太平洋戦争は大東亜戦争だったのです。
まあ私は別に大東亜戦争と言う事にこだわりは持っていません。
名前は世界的に使われている言葉でも、ある程度は良いと思っているからです。
でも、どうしてその戦争をしたのか、どんな状況での戦争だったのかは理解しておく必要があるでしょう。
日本が大東亜戦争と言っていた事実は忘れてはいけません。
※太平洋戦争(大東亜戦争)でも良いという話です。

日露戦争は世界の中で生き残る為の戦いでした。
大東亜戦争は、強くなった日本が世界の形を変えようとした戦いでした。

日露戦争は勝てた事で目的を達成できました。
だから多くの神社で石碑が残っています。
大東亜戦争は、負けたけれど今、目的は達成されていると言えるのではないでしょうか。
日本が侵攻し、その国で育てた軍隊が後に独立を勝ち取り、今では人種差別はいけない、人は殺してはいけない世の中になっています。
日本がやろうとした目的は、概ね達せられたのです。
ただ、戦後の酷い状況の中で、当然ですが負けたのに石碑を残そうなんて事は多くはあり得ませんし、今更目的達成を祝うのも変ですからね。
大東亜戦争も記憶に残すべき重要な戦争ですが、これは神社が行うまでもなく、多くの所で残す活動があるので問題はないでしょう。

そんなわけで、神社を巡っていて先人たちの思いを受け取り、私は戦争を振り返りました。
まだまだ神社が残す思いというのは多々ある事でしょう。
これからも何かのメッセージが見つかれば、ここでお伝えしていければと思います。

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